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[nikomat:09828] Re: Sukiya Camera's basement



こやの@神戸カメラミュージアムでニコン75年史を見た です。

>12.5mm とかいうのが昔科学技術庁長官賞かなにか取ったんですよね。
>マイクロフィルム用でしたっけ?違ったかな?

そうでしたねぇ。75年史に書いてあった。

ニコン75年史で栄光のニコンの歴史を見たわけですが(ニコレックスF
のOEM話は載っていなかった。なぞの○マ印)、やはりというか、ぎょ
っと言うか、の話もありましてぇ。。。

1)昭和36年頃。
 日本の光学技術を向上させるという大プロジェクトが勃発して、ニコン
と東京教育大学光学研究所(=現在の筑波大学物理工学系=古谷野が構成
員である)が共同で「ルーリングエンジン」という機械(ミリ1000本
ぐらいの線を、ガラスだか金属だかに引っ掻き傷よろしく書き込む機械)
を作ったんだそうな。光学技術の原器となるグレーティングという光学部
品を国産化するためです。おそらく当時の光学研究所長は朝永振一郎先生
だったと思う(学長だったかなぁ)。
 このテの国家プロジェクトですからニコンが陰で糸を引いているだろう
とは思っていましたが、やはり、でした。
 低温センター向かいの建物あたりで、この機械にまつわるおどろおどろ
しい伝説を聞いたことがあります。

2)ぐっと時代が下って昭和末期。
 多層膜の研究を進めていた純真な大学院生であった古谷野青年に、ある
X線光学の先生が”君、日本光学って知っているだろ? そことも多少関
係があるんだけど、これにMoとSiの多層膜を蒸着してくれないかね”と言
われた。色々と技術的に不可能なことを仰るので正直に”私の機械では出
来ません”と答えたが、手練手管を駆使してごり押しなさるので、とりあ
えず、ふくれっ面してやる<だけ>やって差し上げました。もちろん良い
物が出来る訳ない。

#この辺の感覚は刀鍛冶と一緒かもしれない。

結果を見て、その先生は諦めて下さり私は本業で学位がもらえました。
75年史を見ると、どうもニコンが本気でやっていた話のようで、その後
どこかの人がきちんと作ったものの写真が出ていた。ニコンあたりに金を
出してもらって装置を作り直し、良い物を作ったら私の作品が75年史に
載ったかもしれないと思うと複雑な心境である。

#この話はニコン性器部の人たちに関係があるのかもしれないなぁ。


古谷野 有@筑波大学低温センター
koyano@bk.tsukuba.ac.jp