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[nikomat:10284] 米谷さん講演レジメ(長文)
たなべです。
遅くなりました。米谷さんの講演のレジメです。
ニコンではありませんが、同時代の名設計者の話として価値があると思います。
足りないことがあったらお願いします>高田先生。
M−1の開発に至るまで
ペンFでやることは全部やって次はフルサイズと思っていた。
輸出向けにフルサイズが求められていた。
しかし1)システムカメラであること2)小型であること、という
コンセプトだけを出して具体的なスペックを示さなかったため1年
近く会議を通らなかった。結局桜井さん(当時重役?)から「好きに
やれ」と言われて、着手した。しかし開発に5年必要というスケジュ
ールを押し通したため、じれた輸出事業部などからすぐ売れるカメラを
作るために別会社を作って開発を依頼した。これがFTL。
その際開発中のM1とはシステムの互換性をとらない、ということで
受け入れた。
M1の開発
M1はまずシステムカメラである。小型ということばかりが取り上げられる
のは本意でない。社内向けに「宇宙からバクテリアまで」というスローガン
を作った。そのためこれまで事業部の垣根があったものが、顕微鏡でも何で
もカメラと一緒にフォトキナなどに出すことが出来るようになって喜ばれた。
システムカメラとしてどんなレンズでも蹴られたりしないように2000mm
のレンズの光路でミラーボックスを設計した。
小型化のためにプリズム下面をコンデンサーレンズにした、シャッター
メカニズムをミラーボックス下に持って行ったなどはよく知られていますが、
その他にシャッター幕の幅を狭くするためにリボンを止めて糸で引っ張る
ようにしたが、適当な材料がない。柿渋まで試したそう。
結局連日の過労のせいで交通事故で郷里の病院に入院中(奥様の実家、親戚
は医者が多いらしい)手術用の糸を勧められ、そのメーカーと協力して開発
した。
視度:日本製のカメラは1mになっているものが多いが世界中の人3千数百
人を検査して平均2mちょっとであることを確かめ、2mとした。
発売まで。
システムカメラとしてレンズと全アクセサリー280点を発売までに揃える
ため全社的な協力を要請したが、事業部の壁があったため、事業部そのもの
を廃止して生産した。しかし発表時には実は200点あまりしか間に合わな
かった。7月に発表後9月のフォトキナでライツからクレームがついた。
もともとアルファベット一文字の形名は登録商標にはならないのだが、オリ
ンパスと言う会社は波風を立てない方針なので、OM1とすることで話をつ
けた。結局1万台足らずしかM1は作らなかった。
最後に
本人の口からは言えません、と言っておられたが佐伯さん(カメラ博物館長)
からM1のMは米谷のMです、という話があった。
以上です。