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[nikomat 13188] Re: tsumori shouhi
松下です。
[nikomat 13186] At 4:57 PM 00.3.29 +0900, Y.Iguchi wrote:
>井口です.
>
>
>丹後屋さん:
>> > 昨日の日経新聞夕刊に,「つもり消費で満足感」という記事が載っていました.
>> > 最近は,ほしい商品があるとカタログや雑誌などで徹底的に調べて知識をため込み,
>> > 結局商品は買わずに「買ったつもり」で満足してしまう人が増えているんだそうで
>す.
>>
>>おぉ、やっぱり。
>>新製品と言いながら、機能的には、
>>敢えて求めなくても、現有品(旧製品)で用が足りてしまうような
>>ものが増えていることが一つの理由か?
>
>>カタログが立派過ぎて、
>>物欲を満たしてしまうバーチャル体験になっているとか、もあるかも。
>>これは、二次元コンプレックスと同類か?
>
>私も「買ったつもり」に熟達すればずいぶん楽になるんですが.
私もカタログを集めるのは小学校からの趣味でした。その頃はラジオとか
ラジカセやステレオでしたが。小さい頃は仕方が無くても、成人してから
そういうのは、実はあまりよくないのではないかと感じています。
人間は80%を視覚に頼っているらしいですが、これはこれで正しいので
しょうが、ずっと記憶に残る感覚や思い出というのは視覚以外の方が大き
くないですか?
だれそれと手を繋いでみて手が大きかったとかゴツゴツしていたとか、
あったかかったとか、切れるような寒さとか、泳ぐ時の水のまとわりつく
感触とか重さとか、走る時に髪をすく風の具合とか、ぐっと我慢した時に
ぎゅっと握った拳の筋肉の感覚とか、、、昔の記憶を辿ると風景なんかは
かなり曖昧にしか思い出せないのに、そういう皮膚や筋肉を通した感覚や
臭いなんかの方が生々しく「充実した感覚」に思えることがあります。
で、そういう視覚以外の感覚って満たされないと心の深部にわだかまりと
なって蓄積していくような気がします。見ると聞くとは大違いといいます
が、触ると触らないのでは大違い!
なので、やはりカメラは手に取った上で買わねばならないのだ!
蛙に鳴くな、勝手な毛という格言通り。
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松下 健治
email To: kenji@comm.yamaha.co.jp