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[nikomat 22073] Re: slump help
松下です。
みなさん、ご意見有り難うございます。私は多分無口な方であまり人に
相談するということもしないため、自分で壺にはまってしまうところが
あるのでしょうか。いろいろな人の意見が伺えるというのは心強いです
ね。
実は昨年3月に会社で突然倒れてしまいました。それっきり出社可能な
状態にならなかったため今年5月まで休職状態でした。原因はストレス
と先生からはいわれていますが、自分ではそんなパンチのあるストレス
は受けていないと思っているので実は妙な感じなのです。それほどまで
に自分の感受性が狂っていたのかとも考えられます。当然しあわせだと
感じる力も非常に萎えているのでしょう。今はかろうじて出社可能なの
でリハビリをかねて半日だけ勤務という不安定な状況です。
会社に勤めて10余年にしてまったくの空白の1年が出来てしまいまし
た。この1年間は孤独でした。半日は床で過ごし体調が少しよいと軽い
散歩をするだけの毎日でした。昼間に外に出ても話をする人もいないわ
けで、社会人として会社で働くのは辛いことだけど、その方が幸せなの
だろうという気持ちでした。そしてこの1年という空白は同僚に対して
も取り戻せない1年として永遠に刻みつけられたわけです。何が変わっ
たという感じはしないのですが、話題にもブランクがあるわけで、浦島
太郎はかくあらん、でしょうか。なにか不整合なのです。
現在は体力と抵抗力がまだ回復しておらず軽い運動すらできないという
のが辛いです。運動しないと体力はつかない、ストレスが発散できない
というジレンマです。一瞬のハイのあとには数日の憂うつが待ち受けて
いることが分かっているのでセーブせざるをえない。ここまで直ったの
でいつかは全快するのと思われるけれど、遅々としたこの状況に焦りは
消せないのです。もしかしたら今後の人生はずっとこうかもしれない。
そして回復しないまま老衰し、永遠の希望はかなわない絶望になってし
まうのではないかという不安。絶対の幸福に包まれた子供の頃の記憶ば
かりが遠い想い出としてよみがえってきます。これってもう老人では?
写真を撮るというのは、おっしゃるとおりストレスにもなる両刃の剣で
しょうか。カメラを手にする前にもう撮影後のがっかりのことを考えて
しまう。小さいときはこうではなかったに違いないのです。全てが発見
の連続。知識が蓄積されていくにつれてだんだん目は曇るような気がし
ます。肉眼のビビッドな印象は失われ、観念的な観察思考だけが先行し
ていきます。物を見ているようで、これは見ていないのと同じですね。
先日、NHKの新日曜美術館で古賀春江がやっていましたが、この中で世界
は突然現れては消えていく連続というような古賀の世界観について述べ
られていました。即物的なイメージのコラージュが個々のものを越えた
新しい世界を表現する手段になり、世界そのものがまたそのようなもの
であるということでしたが、個人が脈絡もなくこの世に生まれてもがき
ながら生涯を送るのも同じようなものかも知れない、ですね。自分の人
生は自分の生きた時代と共に進行するものであってそれから逃れること
はできない。だから? そう、人生はもっと楽観的でなくてはいけない
ように考えられるのですが、どこからともなく沸いてくる感情はそうで
はないという矛盾。やはり体調がよくないからこのような思考に陥るの
でしょうか。
脈絡もなく書き綴ってしまいましたが、皆さんのメールを読んで、書き
なぐったらなんだか少しは気が晴れたような気もします。
失礼しました。今後ともよろしくお願いします。
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松下 健治