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[nikomat 25934] Re: 緊急:yd ・吉田幸司さん逝去
乾です.
日本のメーカにいくと,その仕事が好きで好きでたまらない,という
技術者の方によくお会いします.そんな方々に会うたびに,日本の
技術は心配ないと確信します.吉田さんも,そんな感じの方でした.
私が吉田さんにお会いしたのは,一度だけ.義理の父の形見の
ペンタックスS3の故障をみていただいたときです.場所は品川の
アンミラでした.このカメラは,ペンタックスの技術も修理不能と音を
あげた難物でした.
吉田さんは,私がカメラを手渡すと,最初になんとミラーを指でごしごし.
確かに埃がで汚れていたけど,それを指で拭くなんて! と驚いた
ことを覚えています.吉田さんって,けっこう乱暴な方でした...
その後,早速,手持ちに工具でカメラをバラシはじめたのでした.
アンミラの机の上で壊されていく(いえ,修理されていく)カメラ.
ひやひやしたのを覚えていいます.
その後,吉田さんは,正月休みを返上でカメラの修理をしてくださった
ようです.でも,実はカメラは直らなかったのでした.そして,そのまま
カメラは吉田さんの師匠の早田さん送りになったのでした.
吉田さんを介して,早田さんから「カメラ直ったよ」とご連絡をいただい
たのは,その翌年の3月でした.めっきり春めいたなか,浅草にカメラを
受け取りにいきました.
早田カメラは例によって,常連さんでいっぱいでした.ちょっと入りにくい
かったのを覚えています.「吉田さんから連絡をもらって...」と伝える
と,すぐに修理が終わったカメラがでてきました.早田さんいわく,「吉田
君,だいぶがんばったらしいけど,ダメでさ.俺のところにもってくれば
すぐ治るんだけどよ」といったあとで,一言「でもあいつは,本当に色々
試したみたいだからかさ」.
そんなわけで,修理の終わったペンタS3が手元にあります.1961年
製で吉田さんと早田さんの二人で修理していただいたカメラです.
ミラーには,吉田さんがゴシゴシやった跡がまだ残っています.
では.