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[nikomat 26483] Re: ライカ評論



ひうらっす。

このサイトは、面白いですね。
しかし、私は、よく言われる以下の件について別の見解を持っています。
(このサイトに限った話題ではありません)

>1954年ライカM3誕生の前夜、他のカメラメーカーはそれまでライツが
>生産したヒット商品 旧型ライカIIIF型(バルナック型ライカ)のコピーに
>喘(あえ)いでいた。
>
> コピーライカは数多く作られたがライカを超えるものは生まれていない。
>そういった時代に、他を全く寄せ付けない高性能なライカM3の誕生はその後の
>「世界カメラ産業地図」を大きく塗り替えることになる。旧型のIIIFでさえ
>追いつくことの困難な技術水準にあって、M型ライカはコピーメーカーにとって
>遠く及ばない雲の上の存在になってしまった。
>
>   このあまりにも優れた性能に、内外の多くのメーカーはレンジファインダー機の
>コピーに見切りを付けて一眼レフカメラへと転向を余儀なくされたのである。
>ライカに追いつけ、追い越せのムードは消えてしまった。これが功を奏して、後に
>日本は当時の西ドイツを抜いて世界一のカメラ王国になっていくのである。
>この頃を思い出してみると、一眼レフは顕微鏡撮影や接写といったテクニカルな
>分野での活躍が目立っていた。

確かにM3は優れたカメラです。登場年を考えると、RFでは最も優れた
カメラだと思います。

しかし、これをして、国内のメーカが、ライカRFのキャッチアップをやめて、
SLRに転向せしめた、とする説は、ちょっと違うんではないでしょうかね。

「明るい暗箱」などを読むと書いてあったと思いますが、当初ニコンには
SPの計画はなく、当時頭角を表し始めていたSLRに強い興味を持って
いたようです。しかしM3が登場することによって、米国のディーラーから、
S2の次機種として、営業上、M3に対抗しうるようなものを出すよう、
再三の督促を受けたため、SPを設計製作したということのようです。
(ニコンは、当初、こういうものを造ることに相当抵抗があったらしい)

実際、SPとFは並行して設計されていたことは有名ですし、
またS3のほうが社内オーダーは若い番号だったと思います。

ということで、むしろM3が登場していなければ、(タラレバは禁物ですが)
ニコンはS2でRFをやめていたか、もしくはS3の仕様ぐらいで終わっており、
SPは登場していない。また、その設計にかかる人的資源がつぎ込めるため、
Fの登場もより早まっていたものと思います。

確かに、M3の「一軸不回転ダイヤル」がFに影響した面は否めませんが。

実際、アサヒフレックスの出現はM3より早い 1952年ですし、
コンタックスSも同年のはずです。ゼンザブロニカDなんかも、発売は
Fと同年ですが、この時代から既に設計を開始していたと言われています。
日本工学が、これらの、一眼レフの利点にいち早く気付いていたということは
あるはずで、Fは、むしろ、遅きに失したかと思われるような、最後発の
タイミングだったともいえます。
(が、その頑強さ、RF時代からの信頼感で売れに売れた)

逆に、(それまでのバルナックの感覚からすれば)過剰なまでの機能を
詰め込んだM3は、コスト感覚などからすれば、バランスを欠いており、
同じ目的(パララックスの補正、レンズ画角にあわせたファインダ)
を達成するにはSLRのほうが優れているということを再確認した
という面はあるのではないでしょうか。

#その過剰さが、M3のすばらしさであり、またそれに対抗したSPなどの
#よさであることは間違いありませんが。

ということで、SLR化への流れは、M3が出ようと出ようまいと、時代の
趨勢であり、歴史の必然であったと考えています。しかし、こういう時代で
あったにもかかわらず、ライカは、M3という化け物を発売し、それに
自信を持っていたからこそ、SLRへの時流に乗れなかったという面も
あると思います。「国産メーカのあきらめ」ではなく、この
「ライカのおごり」が、国産SLRの隆盛を築いたといわれれば、
そうかもしれないとは思います。

またカメラの形式をRFに限るから話がおかしくなるのであって、例えば、
「M3に対抗しうるカメラは何があるか」というと(発売年は後になるが)
「ニコンFは、M3に対するニコンの回答であって、M3に対抗しうる
 優れたカメラであった」ということは言えると思います。
ただ、ある意味でニコンはRFを見限ったのですが、しかしちゃんと、
SPという回答も並行して出しているところは偉大です。

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また、上の、「日本はバルナックのコピーに喘いでいた」とするのは
ちょっとおかしいかと。S2は、バルナックより、いろいろな面で
優れているカメラだと思います。ちょうど、M3とバルナックの
中間的な存在といってもいいかと思います。

確かに、それまでの、単なる「ライカコピーメーカ」は、M3の
登場によって息の根を止められるのではありますが。

しかし、M3は本当に驚きのカメラですね。
その後の、RFの発展(M3からは本質的に進化していない)や、
SLRでの進展を考えると、本当に「M3は、進化した文明を持つ
宇宙人がやってきて設計図を置いていった」といわれても不思議ではない
カメラのように思えます(宇宙戦艦ヤマトで、イスカンダルのスターシアが、
地球に「波動エンジン」の設計図を送った・・・といえば分かりやすい?)

M3を設計した人物のストーリーなどは、オスカー・バルナックほどには
聞かないのですが、どういう経緯だったのでしょう。

では

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 日浦 慎作  Shinsaku HIURA
 大阪大学大学院 基礎工学研究科
 システム人間系専攻 システム科学分野
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