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[nikomat:09850] Re: Sukiya Camera's basement



まごめ@NOAが75年史に載っていなぞ!です。

ちょっと長いので、良い子は後回しにしてね!

こやの@神戸カメラミュージアムでニコン75年史を見た さん:

どうも、NOAがでてないんですよ!

わたしもいきなり愚痴になっていますが、ニコレックスは歴史から消されよ
うとしてしています。
以前、ニコレックスはニコンが密かに買い占めていると聞いたことが、・・・
・・・真意は定かではない。 

こやのさんのニコレックスFをOHにだすと、

      受け付け嬢「修理あがりました」
      こやの青年「どれどれ」
      受け付け嬢「ここではお明けにならずに、おもち帰りください」
      こやの青年「すぐに見ないとね」と開けだすと
      警備員たち「お客様困るんですよ、他の方に迷惑になりますから」
      こやの青年「何だ、きみたちは!」  かくして追い出される。
        ・・・・
      こやの青年「ふん、ここであけたって同じだわい、あれ?」

        1。不思議な箱があり、開けると煙が、・・・こやの爺になってしまう。
        2。不思議な箱が、F5と書いてある、中には紛れもなく、F5が。
        3。不思議な箱が、開けると、ノーネームニコレックスになっていた。

てなことになるらしい。

> 
> 1)昭和36年頃。
>  日本の光学技術を向上させるという大プロジェクトが勃発して、ニコン
> と東京教育大学光学研究所(=現在の筑波大学物理工学系=古谷野が構成
> 員である)が共同で「ルーリングエンジン」という機械(ミリ1000本
> ぐらいの線を、ガラスだか金属だかに引っ掻き傷よろしく書き込む機械)
> を作ったんだそうな。光学技術の原器となるグレーティングという光学部
> 品を国産化するためです。おそらく当時の光学研究所長は朝永振一郎先生
> だったと思う(学長だったかなぁ)。

いまの社長でおわします吉田庄一郎さまはこのお話がとっても得意です。
これから始まり、ステッパが誕生したと何度か後援されております。

最高傑作は、お正月頃に鎌倉は某円覚寺では、善男善女をあつめ、年始めの
講演会をやるのですが、某社長はここでもこのお話をされ、いつもの業怪人
相手ではないため受けなかったと寂しがっておられたとか。
(おっと、これは見なかったことにしてくだされ)


> 2)ぐっと時代が下って昭和末期。
>  多層膜の研究を進めていた純真な大学院生であった古谷野青年に、ある
> X線光学の先生が”君、日本光学って知っているだろ? そことも多少関
> 係があるんだけど、これにMoとSiの多層膜を蒸着してくれないかね”と言
> われた。色々と技術的に不可能なことを仰るので正直に”私の機械では出
> 来ません”と答えたが、手練手管を駆使してごり押しなさるので、とりあ
> えず、ふくれっ面してやる<だけ>やって差し上げました。もちろん良い
> 物が出来る訳ない。
> 
> #この辺の感覚は刀鍛冶と一緒かもしれない。
> 
> 結果を見て、その先生は諦めて下さり私は本業で学位がもらえました。
> 75年史を見ると、どうもニコンが本気でやっていた話のようで、その後
> どこかの人がきちんと作ったものの写真が出ていた。ニコンあたりに金を
> 出してもらって装置を作り直し、良い物を作ったら私の作品が75年史に
> 載ったかもしれないと思うと複雑な心境である。
> 
確かに載っていたかもしれませんね。X線の分野ではありますゆえ。
で、相当にいまでも大変のようです。
こやの青年は、いまでもこれに関係がおありなんですか?

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