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[nikomat 16177] [---yota]全治?(Re: 自己紹介)
宮崎@カメラも壊せば体も壊した です。
※ ごめんなさい、全くカメラネタございません。
高田せんせ:
>> 全治○×って、その期間でほんとに元の生活に戻った人って見たこと無いっす
>> けど、あれって過小評価なんじゃないっすかあ?
事故とかの場合は警察に報告する必要もありますから、適当に決めるみたい
ですね。
> 元の生活に戻れない場合もありますよね。
> 隊長は幸いにして復活されたようですが。
完全復活ではないですねえ。
やっぱり動きは渋いです。
上記の件ですけど、私の場合は最初に診察した医師が「全治」の期間を決
めたと思います。結構決め方はいい加減でしたね。
事故の1時間後ぐらいにレントゲンを撮って、「これは酷いね〜」「うち
には入院設備がないから、病院を紹介するね」と言って、診断書を書いて
いました。左肘関節粉砕骨折(=複雑骨折)で、「全治1ヶ月」だったと
思います。
どこがじゃ!
翌日は紹介された先の病院で検査を受けましたが、ベットが空いていない
と言うので手術は4日後になり、夜は会社に行って机の周りの整理をして、
MLも止めました(当時はSTOPコマンドがあった)。
全然平気だったのが、入院した手術前日の夜からおかしくなり痛くなりま
した。入院後で良かったけど、座薬しかくれないんですね(看護婦さん)。
間接あたりの骨がバラバラになったので、手にしては大がかりな手術を受
けました。術中助手の役割をしている若い医師が、「先生これどうします?」
と聞いていました。「捨てといて」と言われた「これ」は、粉々になった
間接の骨だったらしい(部分麻酔だから全て聞こえます)。
1ヶ月後の状態ですが、「全治」どころではなくギプスもはめたままで、
10cm以上の長さがあるステンレス・ピンも3本入っていました。
ギプスが取れたのが2ヶ月後ぐらいでそれからリハビリですが、最初は肘
関節がまっすぐに伸びなくて苦労しました。だんだん伸びるようになりま
したけど、快復が悪いので1本だけ先にピン抜き、残りを全て抜いたのは
秋でした。ML諏訪お踏み(1998)には参加しましたけど、左腕を丸ごと
濡らすのは止められていたので、私はみなさんと一緒に温泉には行きませ
んでした。
お踏みは9月だったと思います(事故は2月)。
どこが「全治1ヶ月」じゃ!!
今も元どうりではないです。
医者に言わせると、「ここまで元に戻るとは思っていなかった」と言いま
すが、何となく動きが渋く昔どうりには戻っていません(みなさん、骨折
には気を付けましょう)。
既に事故から2年以上経っていますが、「全治しない重傷」でしょうか。
何を持って「全治」とするのかな。私の方などはかなりいい方だと思いま
すけど、複雑骨折はなかなか完治しないようです。
幸い左肘関節でしたからまだいい方で、足の膝関節だったら暫くびっこだっ
たと思うし、走るのも大変だと思います。撮影の際に歩くことは多いので
すが、復活は相当遅れたでしょうし、以前のようには行動できなくなった
と思います。
しかし、「重傷」っていい加減ですよね。
腕の単純骨折でも「重傷」扱いなのに、頭蓋骨骨折でも片足切断でも、
「重体」以外は「重傷」扱いなんですかね(TVや新聞報道)。
厳密には分類があるのですかね => 高田せんせい
重重傷・中重傷・軽重傷ぐらいに分けてもいいかも。
あと、「全治」っていう言葉も安易に使いすぎだよなあ。
「これは全治しないよなあ」というのは多いから、「全治しない重傷」と
正しく発表して欲しい。
> #求む、経験談。
以上です。
(株)リコー 秦野事業所 宮崎 昭彦
E-mail:amiyazaki@nts.ricoh.co.jp