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[nikomat:08685] Re: Ais35-70&Kimura
たむらです。
情報処理学会の大会にいってました。
帰ってみれば 当MLに意外な話題。
おもわず長文になってしまいまして、ゴメンナサイ。
> 古い鉄には2)がホトンド入っていないようです。サビだけでなくて、微量な
> 不純物がいろいろと鉄の特性に影響を与えているようです。鉄の精錬法の
> ちがいによるそうです。明治以降の西洋スタイルの大量生産鉄はダメ。
> 昔の手間のかかる鉄が良い。江戸以前の建物はいつまでも持つけど、明
> 治以降の建物は200年ぐらいたったら全てボロボロでしょうなぁ。
> 未来の人類は、明治以降には建築物が無かった なんて結論するかも。
<玉鋼>
まず、精錬の仕方が異なります。和鉄、特に刀では「たたら」で精錬した玉鋼
と呼ばれる鉄を用いています。たたらは、長さ数メートルの粘土でできた釜で
すが、これにふいごから空気が送られます。精錬は、たたらに砂鉄と松(?)
炭を交互に混ぜるという作業を、3昼夜ぐらい連続して行ない(還元操作)、
たたらをくずすと、底に鉄(けら)がたまります。といっても2、3トン。玉
鋼は、その中心にある高品質な鉄です。まわりは、炭がそのまま混ざっていた
り、不純物が入っていたりしてます。ポイントは、ギリギリ低温の精錬です。
> 日本刀は、炭素量の違う鉄が多層構造になっている複合材料ですね。それ
> で切れ味バツグン(ヒゲが剃れる)、しかも折れない(シベリアの極寒地に行
> くと折れる。まあ、設計時にそこまで考えてないから)。
<鍛錬>
鍛錬では、玉鋼やそれとは成分の違った鉄をコテ棒に先に積木のように刀の分
量だけ積んで、それを二つに折り、四つに折、鍛錬します。(せいぜい10数
回以下らしい)昔の刀(新刀以前、つまり江戸初期まで)の表面を見ると木目
の様に鍛錬のあとが見え、これが観賞の要素となっています。ガンガン叩くと
炭素が抜け(これが火花として見える)、焼いて炭素を付けたりして、調節し
ます。また、鍛えながら、秘伝の泥水や藁などで拭いますが、これが鉄の層を
くっつける「薬」になるそうです。
<焼き入れ>
形を整え、泥(焼き刃土)で一定の様式で刃紋の元を書き込みます。これは、
書いたとおりに刃紋ができません。刃紋の付け方にも流派があります。乾いた
ら焼き入れです。暗くした鍛冶場で炎の色で温度を見て、水に入れます。水の
温度も秘伝だそうで、能や歌舞伎の題材にありましたね。エイャっと水に入れ
ると、このとき土がもってあるところとそうでないところで冷却に温度差がで
きて、マルテンサイトだとかトルースタイトとかの粒の違いが現れ、これが刃
紋になります。また、このとき刀の「反り」が発生します。
<砥>
あとは、砥ですが、これまた素晴らしい技術で、話すと長くなるので、今回は
止めときます。
ただ、刀の製法は、古刀期(江戸初期以前)に完成していて、新刀(江戸初期)
は、まずまずです。新新刀以降(幕末以降)では、過去の製法がわからず、再
現ができないのだそうです。見た感じも古いものは、落ち着いていて素晴らし
い。初代Fはじめ金属カメラ、やはり独特のあじがありますね。(強引にカメ
ラに曲げた) これに反して、砥は美術品として仕上げる現代が一番発達して
いるのだそうです。
> 現代鉄はダメだから、古釘とか、解体になった土蔵の鉄部品で現代の日本
> 刀は作られているようです。これらがなくなると日本刀はオシマイです。と、
> 南部の鉄瓶も然り。昔の鉄瓶は錆びない。
> 本当ですか? → 田村先生
上記の「たたら」製鉄は、ほとんど途絶えそうだったのを日本美術刀剣保存協
会というところが復活させ、刀鍛冶たちに玉鋼を供給しています。刀鍛冶によっ
ては、自分で精錬したり、古い釘を混ぜたり工夫されているようです。
> #法華三郎師、間宮光治師って御存知ですか?
活躍しておられる方なのでしょうが、ちと思い浮かびません。
あと、
観賞の仕方、見られるところ、買い方、試し切り、鑑定の仕方などなど、
話は尽きないのですが、場所がらをわきまえて堪えておきます。
一言、二言。
11/3あたりに「刀剣フェスティバル」とか何とかいうのが産経会舘で開か
れます。銀座マツザカヤの裏に「刀剣柴田」という私の馴染みの店があり、そ
この社長は「なんでも鑑定団」の刀剣部門をやってます。
たむら@刀で人生が20度は曲がった