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[nikomat:25545] Re: Digest of nikomat ML.
丹後屋す
いぬいさん:
> > |でも、仕事はいわれてもしょうがないすね。
> >
> > そうかなぁ、3年ほど前に名古屋市立美術館で開催された回顧展(巡回だったと
> > 思う)ではとてもそうには思えなかったです。
> >
> > あれ以上のことをしている人物って国内だと他にどういう方がいますかね?
>
> どの仕事が本業か私にはよく分かりませんが,まあ文筆家なんでしょうね.
コンセプチュァルアートとか言われた芸術の、日本での「走り」のような人ですね。
結果ではなく、一回限りの作用それ自体が芸術だ、という点で、
屑を書き散らすのだとしても、書き散らす行為に意味あり、としてるかもしれない
やっかいな文筆家だと思います。
> #尾辻名義で芥川賞もらっているし.
芥川賞の対象となった、「父がいない」でしたっけ?
あれも、不思議な文章、小説で、
既に書かれてあるのに、読みながら、今書かれているんじゃなかろうかと
思わせられるような、超現実感を感じさせる文章でした。
だから、登場する「私」と「娘」と「床屋の主人」の話の中から、
家族のあり方だの、父親と娘の関係に関する一般的な考察から生まれる
作者の主張だのとか、何かイデオロギーになり得るようなものは
なにもなく、並べられた言葉は、川底から発生して水面にちょっと存在の痕跡
を表しては大気に消えていくガスのような印象がありました。
当時にあっては、それまでなかった小説だと思いました。
描写における言葉使いにも、独特の感覚がありました。
「美術をやっている人は、こういう書き方をするのか」と感心したのを覚えてます。
エッセイなんかで、一つ言葉が現れるとそれを巡って、文章の対象が
それまでの主題と関係ない対象にクルクル変わっていきますよね。
(あちこちから、アブクが発生している)
小説では、長さにあまり制限がないから、それが露骨に多用されます。
それはそれで、尾辻克彦の文体を構成する大きな要素になっているので
評価は分かれるんだろうと思うのだけど(評を読んだことがない)
局所的にせよ主題が変わるのは、短いエッセイでは、読んでいて
イライラの原因になります。
> 文章はエッセイみたいなのが最近は多いと思いますが,割りと出来,不出来の
> 差が激しいとは思います.率からいうと,出来が悪いほうが多いかな.つまら
> んな,,,と思うことがけっこうあります.
勘どころを押えた転換になっている場合はふーむ、と楽しめる場合もありましたが
最近は、ああまたか、という感想しか浮かばないのが多いです。
> その中では,アサヒカメラの中古カメラのエッセイは,内容の正確さはともかく,
>
> #なにしろエッセイですから.
>
> 僕は楽しんで読んでいるくちです.彼は天文ガイドにもなぜか連載エッセイ
^^^^^
小説集「ライカ同盟」の後半には、天体望遠鏡にからむ小編が
幾つか並んでます。それで、天文好き、ということになっているのでは
ないですか。