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[nikomat 22264] Re: slump help



日浦です.

>そういえば、私はおおいなる観察者でいたいとよく考えてました。
>考古学者やダーウィンや雪の結晶の観察で有名な人(名前失念)
>とかの行動力や方法論が好きだったからです。人間はさまざまな
>ものを発明してきて自然を越えるものを作り出し続けてきた。
>けれども、受動的にも見えるこうした活動の中にも十分過ぎるほ
>どのものがある。しかし、どうやらこうした考えはあまりよい結
>果をもたらさないようです。朽ち果てて見向きもされなくなって
>も表現者であり続けなければならないような気がします。

科学者は,基本的には単なる観察者かもしれませんが,しかし
観察しているだけで何かがわかるわけではないと思います.
その人なりの,独自の着眼点・切り口があって,それにより,昔から
ずっと目の前に横たわっていた普遍的な事柄が初めて明らかに
なるわけです.

そしてまた,単に観察するだけではだめで,得られた結果をうまく
表現しないと周囲には受け入れてもらえないわけですね.
ここでの表現というのは,単なる自然界の事実を表現・発表するだけ
ではだめで,その人独自の着眼点,視点をいかにうまく表現するか,
ということがキーで,また面白みだと思います.結局,事実そのものに
新規性があるのではなくて,新しい視点そのものに新規性があり,
また後世に残っていくものだと思います.

私の分野は工学系ですから,自然界からの発見というものは少なく,
ちょっとした数式から導出したつまらない原理のようなものが主体
ですが,それを外部に表現するために,多大なる労力をかけるわけです.
例えば,実証システムを作ったりするわけですが,その目的というのは,
やはりそのシステムを提供するのが目的ではなくて,自分のアイデアや
視点・着眼点がうまく働くことを示す表現の道具でしかない場合が
多いわけです.

>その点、写真というのは、カメラ自体もそうですが、観察者その
>ものなんですね。写真プロセスの中に表現者の工程があるとした
>らそれはさて、なんなのでしょうか?

同様に,撮影者の視点・着眼点が関係してくるわけですから,
目の前にあるものを,どのように見せるか?
どのように感じてそれを撮ったか?
を,鑑賞者と共有できるかどうかが問題であって,そこに表現がある
と一般には考えられているんじゃないかと思います.

ただし私は,写真を売って商売するわけではないんで,たくさんの人が
共感してくれるようなものを作り出す必要はないと思います.
だから,評価者の視点に迎合する必要はなくて,自分が思ったままに
好きにやっていれば,それはそれでpure な自分の表現をやって
いることになると思っています.

逆に,見る側の評価を気にするなど,無理すると,面白くなくなって
しまうということがあるかもしれません.(フォトコンなど,それが
励みになったりすることもあると思います.)要はなんでも,面白く
する要素だと考えています.

#論文査読だって,そういうもんだ・・なんてところまで割り切れれば
#研究者としては最高でしょうね :-)

あともうひとつ思うのは,今やっていることの必然性を追う必要は
ないんじゃないかと思います.趣味においては,興味があるから,
やってみる,ということは強力かつ十分な原動力で,それがどういう
結果に結びつくかを先に設計しておく必要はないように思います.

最近私は,ふと突然,天体写真が撮りたくなり,突然赤道儀を落札して
しまったりしましたが ^^; やりたいからやろうと思っただけで,
別にこれでやらなくてはならない何かがあるわけではありません.
でも,そういう衝動が,私に活力を与えてくれるので,素直に
従っているというところでしょうか ^^;;

やりたいようにやりたいことをやって,なにもなければおとなしく
しておく,ということで,いいんじゃないでしょうか?
沈静化していても,またそのうち火がついたりしますしね ^^;;

では

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 日浦 慎作  Shinsaku HIURA
 大阪大学大学院 基礎工学研究科
 システム人間系専攻 システム科学分野
 〒560-8531 豊中市待兼山町 1-3
 TEL:06-6850-6372  FAX:06-6850-6341
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