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[nikomat 37865] 嵐山OFM報告



丹後屋です

簡単ながらオフミ報告(私の分だけです.ちと長くなった)

土曜日:払暁,柏は曇り
WEBの天気情報から京都・近畿界隈の天気が落ち着いてきていることを確認.
家を出て,午前8時50分東京着.
9:00丁度発ののぞみ号の指定席を確保.
途中名古屋あたりまでは雨模様でしたが,米原あたりから雨もあがり
11時14分京都着の頃には薄日も差している.
さて,どこに行こうか考えて植物園が無難か,と
コインロッカーに大きな荷物を預けてから地下鉄に.
地下鉄のおかげで,京都市内,烏丸通り沿いでの南北方向の移動は実に早い.
北山駅で降りて,植物園北山口から入園.
ここは,中央広場から北側の,林の中を感じさせる雰囲気が好みでした.
ブロニカDを取り出してフィルムを入れようとするが,ったくもう,
ストレスジェネレータのフィルムバックは,
またもや単なるフィルム巻き取り機と化しており,ったくもう.
RF645に切り替えて,種々の竹の生えた園の東側の小道を歩いてバラ園へ.
満開でした.
EPPを2本ほど(32駒)消費して正門出口へ.(1時間ほど経過)

さて北大路橋を渡って地下鉄北大路駅へ.
昼飯は二条車屋町の本家尾張屋と思っていたので,烏丸御池駅へ.
地上に出てみると空模様は狐の嫁入り.雨の勢いの弱くなったところで
小走りで尾張屋へ.
記憶を思い起こしてみても,ここでニシン蕎麦を食べた記憶がない.
(ここで食べたことのある暖かい蕎麦は,天麩羅かかしわ南蛮)
ということでニシン蕎麦を注文.出てきたばかりの蕎麦の汁は,
昔の記憶と同じ味だった.(たいしたもんだなあ,と感激)
ニシンは美味かったです.
それでも満腹にはまだ余裕.セイロを一枚追加.
(冷たい蕎麦は,宝来蕎麦だけだったのを思い出す.)
つけ汁はかなりの甘口だったことを思い出す.
うーむ,ここのセイロは関東のモリ蕎麦にはつながらないのであった.
勘定を済ませてお釣を受けとっているところに携帯に着信.
まごめさんであった.今京都に到着との由.

大田神社のカキツバタを,ということで再び地下鉄御池駅へ.
時間を見計らって2本程見送って次に着た電車に乗れば
そこには予想に違わずまごめさんが.
またまた北山駅で降りて,今度はそこから北の深泥池へ.
台風一過の暑くなりそうな天候になりました.
周りの様子はすっかり変わってしまって,それでも
市街地を抜けたところに池は昔通りの姿で残ってました.

池を見た後,北側の山の向こうの円通寺(ここの比叡山を借景とした庭が絶品)
にいくかどうか迷いましたが,少し距離もあることだし,と
予定通り大田神社へ.カキツバタを見るには2週間くらい遅かったようです.
それでも古い神社の趣を堪能.

神社の前から西にむかって上賀茂神社へ.
途中には樹齢500年という楠を御神体とした藤木社があります.
また,明神川沿いには,昔の社家の庭を残した
西村家別邸(建物自体は明治以後の建替えたもの)が公開されており,
そこにも寄りました.
上賀茂にきたらやっぱ土産は成田のすぐき.抜かりなく購入.

上賀茂神社の中も決して悪いことはないが,修学院界隈も気になる.
タクシーに乗って出町柳へ.そこから京福八瀬線(叡山線というのか)で
修学院へ.(電車は昔通りのチンチン電車でした.またもや感激)

修学院駅の界隈,
北山通りと白川通りの交差点あたりはまったく知らない町になってました.
修学院へ向かう道を歩いても,確かに,畑も田んぼも殆ど見えません.
それでもめげずに修学院の正門へ.そのあたりは昔の雰囲気.
南に回って曼殊院へ向かう道を少し進んで驚きました.
昔見た畑は宮内庁の管理下にあるもので,
それは今でも広々と残ってました.立ち入り禁止の看板もものかわ
畑の中の農道を少し入ってみると,そこから見える離宮の様子は,
ああ,なんと,思い描いていた記憶の中の絵のまま.
曼殊院への道に戻って南に進み
雲母坂(キララ坂)に向かう坂道を登って振り返ると,
まさに畑の中の修学院離宮が見えました.記憶のままでした.
この絵にも感激(感激ばかりしている....(^^;)

ただただもくもくと歩いて曼殊院へ.4時半を過ぎていたので拝観はかなわず.
ここの庭もいい雰囲気なんです.
武田薬品の実験薬園の前を過ぎて一乗寺下り松
(武蔵の時代から数えて4代目だそうで)
さらに進んで,白川通りにもどり,カラフネヤで一息.

ここまででようやく2日間の1/4

私のセンチメンタルジャーニーの半分は達成されました.