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[nikomat 32434] Re: 神田きむら
まごめ@書きすぎに注意しないといけないが、です。
いげたさん:
> SATO Yoshiyuki wrote:
> > いげたさん:
> > > 菅原道真のときもそうですが、滅亡さすと化けて出られるのがこわいので、
> > > 神様にまつっちゃうんという手法はすごい>やまと民族
確かに。
> > キリスト教もヨーロッパ布教の過程では
> > 原住民の習慣を聖人に絡めてうまく取り込んできたといいますね。
> > 征服する側はこういう懐柔策をぬけぬけと執り行う政治感覚も
> > ないといけないわけだ。
ブラジルとかのキリスト教はサンバのリズムだし・・・。
逆にインカやアステカは徹底的に反撃したのでしょうかね?
> 非征服民の懐柔というだけでなく、自分たち自身もそこに同化していくっていう
> とこに奥深さを感じますね。キリスト教も、ということですが、むしろ、それを
> 手段として取り込んだローマ人が元来もっていた手法、というか哲学というか、
> 性癖、じゃないでしょうか。
しかし、一神教は征服を正当化するための宗教に思えてならない。
それによって滅ばされた神々は怒らないのも悲しいところである。
水の豊かなところは多神教。 そして私も多神教だなぁと思う今日この頃。
大きな木を見れば、何年生きてきたのだろうと関心し、これからもがんばってねと
思う。 大きな石や滝やちょっとしたものでも何かしら変わったものに関心を持ち
そういった関心が神を宿らしたのだろうと想像できる。
そういった小さな関心から自然の脅威まできっと人間に及ばないところを神様扱い
したのは生活に余裕があったからではないか?
一方、一神教発祥は水の無い瓦礫の中である人数をまとめなくてはならないから、決まりを
作る必要から生まれたのだろう。
誰も言うことを聞かないから絶対神がいたほうが便利なわけ。
で、それが成長すると、おせっかいな団体が一神教を知らない人は可愛そうとばかりに
一神教を押し付けてきた。
うーーん、今もインカやアステカがあったら面白かろう。
基本的には無信教な私ですが、小さな神が宿りそうなところに興味が出てきました。
老化現象ともいえそうです。
> > > 書いてある^^; 寝返り野郎がヤタガラスで、やられた本拠地は矢田神社と
> > > いうてます。
> >
> > 日本サッカー協会のヤタガラスは寝返り野郎だったのか、、、
>
> 矢田神社のそばに住んでたので、そういう見方をしてしまいます^^;
> 大和側から見れば神の使いなんですね。
> 矢田神社は、航空神社ともいわれて、プロペラがまつってあったりします^^;
> http://www.lint.ne.jp/~saruru/tyoko/yataniimasu.htm
しかし、プロペラを祭っちゃうなんて、日本らしいですが、なんともケッタイな
写真ですね。
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MAGOME Nobutaka 1-6 Dev.
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