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[nikomat 37909] ボケ部分の情報量
丹後屋す
京都オフミで光永さんのデジタル作品(A4サイズのプリントアウト)を
見せていただいているうちに,銀塩写真と違う印象を受けるのは
どこがどう違うからなのか非常に気になって考えているうちに,
30年前頃にアメリカで流行った「ハイパーリアリズム」の作品と
デジタルプリントが良く似ていることに思い到りました.
「ハイパーリアリズム」というのは,極端に言えば,技術的には,
筆はどこまで写真を再現できるか,に尽きるのではないかと
思っているのですが,(美学論的には,写真が捉えた2次元像は
現実の何を捉えたことになるのか,なんて小難しい哲学もどきが
展開されるのでありますが,それは今はどうでもいい.
チチンブイブイの学者先生におまかせ)
その制作過程は,まず作者は写真をとるところから始まります.
写真そのものには意味はなく,従来の絵画に対して,いかにも写真で
なければ再現できないような,光の反射,細部に微細な模様が凝縮した
曲面(衣服や地面)が多く写った写真が選ばれたようです.作者は
その写真を,2mx2m程度の大きさのキャンパスに模写してそれを
作品とするわけです.
ハイパーリアリズムの作品を見ると,ピントの合った部分の模写部分は
正に写真以外のなにものでもないです.そこだけを取り出してカメラで複写
したら,多分,殆どの人は写真そのものと思うでしょう.そのくらい細密
に描かれています.ところが,ピントの合っていない部分の模写に
作者の模写技術の上手い下手が現れます.しかも,上手い人のを見ても
そこは絵画なんですね.誰が見てもそこは筆で,あるいはエアブラシで
描かれた絵だとわかるんです.
銀塩写真では,ボケた部分は,情報が拡散しつつぎっしりと詰まった
無数の点像(フィルム上にはボケた広がりのある面として再現されてます)が
重畳した映像です.しかも,被写体上の一点Pが例えば2mmの錯乱円となっても,
その2mmの円上には,点P以外の前後上下左右無数の点の様々な径の錯乱円が
重なっているわけで,どうも画家が下手であれば下手なほどその重畳を
上手く再現できないようなのですね.つまり情報量を再現できていない.
同じように,デジタル写真のボケをみていると,
どうもそんな感じがしてならない.
こんな直感はあたってますでしょうか?